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ロンドン郊外にひっそり佇む偉大な7姉妹 [アウト オブ ロンドン]

セブン・シスターズと聞けば石油メジャーにロックフェラーと
かつては世界を牛耳った7大石油会社を彷彿とする。

ギリシア神話に登場する7姉妹といい、
偉大な7つを表す「セブン・シスターズ」は
いろんなところに使われいるようだけれど、
ドーバー海峡にある小さな街イーストボーンには
巨大な白亜の断崖絶壁「セブン・シスターズ」がそびえ立つ。



今日の出来事
引き潮の時なら崖下の海岸線沿いを散歩できるけれど今日は満ち潮なので崖の上から散歩。
7つの丘が連なるらしいけれど風が強いのと巨大すぎて3つ越えた辺りで散策は断念。
そもそもフォーマルな服装で来たのが間違い。
おもむく方は登山ばりの服装で。



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ドイツ、オーストリアとスイスの国境に挟まれた湖上の神聖ローマ帝国貿易都市 [アウト オブ ロンドン]

コンスタンツ湖はライン川が流れ込む
ドイツ、オーストリアとスイスの国境に挟まれた戦略上重要な湖で
湖畔には飛行船で有名なツェッペリンが生み出されたフリードリヒスハーフェンに
ローマ帝国時代に貿易の拠点として作られた湖上の自由貿易都市リンダウなどがある。

かつて航空業界で栄華を誇ったフリードリヒスハーフェンは
戦争中に激しい攻撃を受けてその座から遠のき、
貿易で栄華を誇ったリンダウは船舶輸送の衰退から貿易が無くなった。
しかし共に美しい湖畔の風景から観光地として第二の栄華を誇っている。



今日の出来事
湖畔に佇み湖でとれた魚のサンドイッチをほおばりながらドイツ旅行最終日をのんびり過ごす。


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最も洗練していると思われる機能美の概念の先に見いだした究極の造形 [アウト オブ ロンドン]

BMWと言えば車に興味がない人でも知っているであろう高級自動車メーカー。

そんなBMWの本社がミュンヘンにあり、本社の隣には自社博物館まで備える。
BMWといえば十字のプロペラに青い空と白い雲をエンブレムのモチーフにしている事からも
戦前には飛行機のエンジンを得意としながらも、
三菱のようにその驚異の性能を畏れたアメリカから飛行機のエンジンの設計を禁止され
自動車メーカーとして再出発を強制された企業。
最近改装された自社博物館のBMW博物館には航空機エンジンの歴史から始まり、
実際に販売されている水素エンジンまで多岐にわたり解説されているけれども、
改装後に追加された究極の自動車のデザインと呼べるコンセプトが目玉である。
6年も前に開発されたと思えないボディーを自由に変形できる自動車のコンセプトカーに
700個以上の球体が移動させる事で実際のサイズで自由な車の形を作り出すコンセプトが展示されている。






今日の出来事
この2つのコンセプトに通じるものは形が定まっていないことだろうか、万人に気に入る形を選ぶのではなく万人の示す形に答えるべく形をなくすという逆転の発想だと言える。
今までBMWのトップシークレットだったことがうなずけるがついに発表したという事はすでにBMWはこの次のステップに進んでいることを意味しているのだろうか。



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第二次世界大戦末期ドイツの空を真っ白に染めた白いバラ [アウト オブ ロンドン]

白いバラ、白バラは第二次世界大戦末期ナチス党本部にほど近い、
ミュンヘン大学でハンス・ショルとその妹ゾフィーが起こした反軍国主義。

ミュンヘンと言えば美しい町並みを今に残すメルヘンチックなイメージだが、
第二次大戦前にはナチスが起こしたクーデター、ミュンヘン一揆の場所でもあり、
その殉教者16人が祭られた慰霊殿もあったからこそか、
そのすぐ近くのミュンヘン大学で反軍国主義を掲げた白バラのメンバーが
反戦、反ナチスのビラを大学の屋根からまき、処刑された血なまぐさい都市でもある。
白バラのメンバーは残念な事にビラを撒いてすぐに捕まり全員が処刑されたが、
彼らの精神までは滅ぼせず、反戦のビラは海を渡ってイギリスまで届き、
その存在を知ったイギリス軍は爆弾の代わり白バラのビラをドイツの空に撒いた。


今日の出来事
ミュンヘン大学前には当時まかれたビラがまかれた直後のような形で記念碑として石畳の舗装に埋め込まれている。
自由になんでも発言できる世の中は今では当たり前のように思っているけれど、本当に自由になんでも発言できる世の中に今はなっているだろうか。
学校では優等生の回答が求められ社会では常識的な回答が求められ、自由な発言だと思っている事は本当は自己規制から来た他人の受け売りじゃないだろうか。
もっともこの主張も同じように思われかも知れないけれど。


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アコーディオンの軽快な音楽に民族衣装に身を包んだ人々が集まって [アウト オブ ロンドン]

小さな村の小さなお祭りが開催されていた。

ミュンヘンへ向かう途中、
名も知らない小さな村のお祭りを見つけた。
ドイツの人々の暮らしは実際には知らないけれど、
ドイツといえばアコーディオンの音楽に合わせ、
半ズボンにサスペンダーの民族衣装に身を包み、
ビールジョッキを片手に踊って謳うイメージが
完全なステレオタイプで勝手にしているけれど、
なんと、実際のお祭りもそのイメージの通り。



今日の出来事
白人の中の唯一の有色人種、気のせいを通り越して明らかにみんなコッチを見ている。でも話をしてみるとシャイなのにすごく丁寧。ドイツ人の素朴なやさしさが何よりうれしい。


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黄金のエレベータから下りると海抜1881mの景色が広がるティーハウス [アウト オブ ロンドン]

バイエルンの街、険しい山の頂に位置するケールシュタインハウスは
ヒトラー50歳の誕生日に幹部からプレゼントされたティーハウス。

アメリカ軍に占領されイーグルネスト(鷹の巣)の異名を持つ
ティーハウスは今ではレストランになっており、
バイエルンの街からスイスの山脈まで見渡せる絶景に惹かれ
多くの観光客が毎年夏になると訪れる。
山頂付近まではケールシュタインハウス観光専用のバスで行くことが出来き、
当時のままの真鍮で黄金に輝くエレベータで最後の124mは一気に到達する。



今日の出来事
ここに立つと視界に収まりきれない世界の広さと美しさから人の優越もどんな荘厳な建築物もほんの小さな事のように思える。当のヒトラーはこのティーハウスを好んでいなかったようだけれど、自分の偉大さがほんの些細な事の気がしたからかも知れないとふと思った。

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女神ヴァルキューレが戦士の魂を運ぶ北欧神話の神々と戦士の神殿 [アウト オブ ロンドン]

ドナウ川を見下ろすレーゲンスブルグの山中にひっそりとヴァルハラ神殿が建つ

このヴァルハラ神殿は新築のようなパルテノン神殿のような外観で
19世紀前半にルートヴィッヒ1世によってパルテノン神殿を模倣して作られ、
神殿のデザインだけでなくサイズもほぼ同じに作られている。
北欧神話と言えばなじみが薄いがやバイキングの北欧神話の主神、
「オーディン」ならどこかで聞いたような気はしないだろうか。
勇敢に戦ったバイキングの戦士達の魂は女神ヴァルキューレによって、
このヴァルハラに集められ世界の終焉の時にヴァルハラ神殿の扉から
復活した戦士達が戦いに望むと言われている。



今日の出来事
神話では戦士達という事になっているけれど神殿内に実際にあるものはゲーテ、ワーグナーなどドイツの著名人たちの胸像。
世界の終焉の時は武力でなく頭脳戦ということか。
頭脳でも戦いたくはないけれど、ぜひ会いに行きたい顔ぶれだ。

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東西ドイツが統一した平和な今だから観光できる場所 [アウト オブ ロンドン]

ベルリンで忘れられないのがベルリンの壁だろうか。

突然崩壊したベルリンの壁は社会主義の終焉の象徴でもある。
東西ドイツの象徴といえばベルリンの壁以外に
有名なブランデンブルグ門とチェックポイント・チャーリーがある。
チェックポイント・チャーリーは冷戦時アメリカとロシアの戦車が
小さな検問所を挟み一触即発の事態に陥ったがケネディ大統領の
外交手腕によって回避された場所。




今日の出来事
ブランデンブルグ門はアメリカ大使館リニューアル式典とかで入れず。壁越しに・・・なんだか悲しい。
写真左、旧東ドイツから見たチェックポイント・チャーリー
写真上、旧東ドイツから見たベルリンの壁
写真下、ブランデンブルグ門

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1943年のベルリン大空襲の痕跡を今に残す教会 [アウト オブ ロンドン]

ベルリンは数多くの史跡や観光地があるけれども、
ベルリン大空襲で破壊されたカイザー・ヴィルヘルム教会は
戦争の悲惨さを伝えるため広島の原爆ドームと同様、
爆撃を受けた当時のままの姿で保存されている。

先の大戦で大空襲を受け国中の街が瓦礫となってしまったのは
日本とそしてドイツだろうか。
ロンドン空襲の報復として行われたベルリン大空襲は
ほとんど被害のなかったロンドンとは規模が異なり、
1,000機以上もの爆撃機によって民家も教会も美術館も
見境無い空襲によってベルリンは瓦礫となった。
また木造家屋が中心で焼失してしまった東京とは異なり、
80年代までは爆弾によって崩れかけた石造りの建物が
廃墟になってずっと残っていたようである。



今日の出来事
今でも唯一残っているエントランス部分で金箔で装飾された美しいモザイク画が見られる。
罪のないユダヤ人を虐殺するナチスを倒すために戦争に関係ないものも見境無く攻撃する連合国。
ナチスも連合国もやっている事は五十歩百歩で戦争に正義なんてきっとない。

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1517年10年31日マルティン・ルターは95ヶ条の論題を教会の扉に貼り出した。 [アウト オブ ロンドン]

だれしも学生のころ世界史で憶えた事のあるこの一文。
たった1枚のテーゼが絶大なカトリックを二分するなどだれが想像しただろうか。

95ヶ条の論題(テーゼ)が張り出された扉は
ドイツの小さな街ヴィッテンベルクの大学教会で
当時、教会の収益の為に販売されていた罪が軽くなる免罪符を巡って、
ルターがカトリック教会に発表した免償に関する論題。
宗教者しか読めないラテン語で書かれていたが、
すぐに翻訳されヨーロッパ全土に広まった。
ルターの「キリスト者の自由」では人が制度や行いによってでなく、
信仰によってのみ義とされるという考えが聖書を引用し主張され、
重税を課され貧困にあえぐ農民達に自由を与えたが
自由を求め1524年ドイツ農民戦争が勃発カトリック教会は火に包まれ、
テーゼは純粋な神学論争から市民を巻き込む政治論争へと発展してしまった。
その後のルターは反省しカトリックに歩み寄ったが、
結果カトリックを二分、プロテスタントを生み出し現在に至っている。
ルターは1546年、生まれ故郷のアイスレーベンでこの世を去り。
大学教会は火災により壁を残して焼失したが
現在は再建され世界遺産に登録されている。

今日の出来事
プロテスタントの聖地と呼べる場所だけれど今も当時のままひっそりした姿を見せている。
どこかの宗教の様にここが聖地だと大げさにしないあたり、ルターの精神が生きているようだけれど、テーゼがなければキリスト教の影響を受けた福沢諭吉の「神は人の上に人を作らず」の言葉もなかっただろうし、日本どころか世界は今も封建国家だったかも知れないと思うと感慨深い。


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近代デザインの基礎を築きながらたった14年しか存在しなかった学校 [アウト オブ ロンドン]

ドイツのワイマールに設立された美術と建築の学校バウハウスは
デッサウのバウハウスとその関連遺産群として世界遺産に登録されている。

ガラス張りのビルに鉄のフレームを使った家具など今ではありふれたモノは
ゴシック調の職人が必要な装飾が施された高級品から一般にも普及させるため
大量生産可能な家具やムダな装飾を省いた建物など革新的なモダニズムを生み出した。
デザインの最先端を行くバウハウスだったが1933年、
反モダニズム、ゴシック復権のナチス御用達の建築家によって目を付けられ
当時の校長らが共産思想だった事もあり弾圧され閉校された。

閉校後デッサウのバウハウスはナチスによって学校や工場として利用されるも、
1945年デッサウの空襲によって美しいガラスの壁は吹き飛び全焼した。
1965年にガラスの壁面も再現され1984年からようやく元の学校として機能、
1996年には世界遺産に登録されている。



今日の出来事
過剰な装飾ゴシックを否定し、大量生産によって豊かな生活を提供したモダニズムもその後、うわべだけをまねる建築によって味気ないと悪評をはられゴシック調の装飾をアレンジするポストモダンへと移行する。
ヨーロッパの町並みが今も高く評価されてるのは街を飾る過剰な装飾のゴシック建築のおかげなわけで結局どんなに優れた思想でも単一思想はうまくいかないのだと建築デザインから学ぶ。


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ローマ・カトリック教会のローマ教皇庁から独立し英国国教会が誕生した理由 [アウト オブ ロンドン]

そんな英国国教会発祥の舞台となったヒーバー城がロンドン郊外にひっそりと存在する。

イギリスの国教と言えばキリスト教の英国国教会だけれども、
英国国教会を語る前にちょっとキリスト教とはから。

キリスト教はローマ時代から始まったカトリックと1517年、
ルターによる宗教改革でうまれたプロテスタントの2つに分けられる。
ルターと言えば「95ヶ条の論題」(テーゼ)を教会の扉に貼り付け、
買えば死後どんな罪も消され極楽浄土出来る御札「免罪符(贖宥状)」を巡り、
当時のローマ・カトリック教会の行いに対して意義をとなえた人物。
結果ローマ教皇庁をも巻き込みカトリック正教会からプロテスタントとして分離、
ローマ教皇庁に対するプロテスタント(抗議者)から由来し別れた。
生涯結婚しない神父のいるカトリックと結婚して女性の牧師もいるプロテスタントと
免罪符だけでなく様々な部分で違いがあるけれどもイエスキリストを神として、
根本的な教義を確認したり聖書を共同で訳したりするなど同じキリスト教だ。
(統一教会、ものみの塔(エホバ)、モルモン教はキリスト教とは根本的に異なる)

はたして英国国教会はどっち側か?

プロテスタントが教義を理由として分かれたのに対して、
イングランド国王ヘンリー8世の離婚問題を発端として政治的理由で
ローマ教皇庁から分かれた英国国教会はプロテスタントに属しているけれど、
ルターと違って後ろめたいからかカトリックにも歩み寄っていてどっちつかず、
まるで典型的な日本人のような態度であいまいな中間地点を宣言しているが、
英国国教会の多くは教義も礼拝もプロテスタントだと思う。

英国国教会は離婚問題でカトリックから分離?

ヘンリー8世はルター率いるプロテスタントを嫌いカトリックびいきだったのに
男の子に恵まれず、ここヒーバー城でお忍びで愛人と密会(大奥みたい)
ついには子供が出来ないキャサリン王妃と離婚を申し出るもカトリック教会が認めず、
国王権限でカトリックから分離、英国国教会を設立してそのトップとなってしまった。
結局ヒーバー城、城主ブーリン家の長女メアリーと愛人関係を持ちながら、
その妹のアン王女と再婚。イングランド内の反対者を処刑カトリックの財産没収。
そんな思いをしてまで再婚したアン王女とも男の子に恵まれず、
ジェーン・シーモア王女と再々婚、じゃまなアン王女を処刑してしまう・・・。
ブーリン家は没落、ヒーバー城は荒れ果てたがアメリカ人資産家が購入、
改築して今では美しい姿と庭園を提供し市民の憩いの場となっている。



今日の出来事
ヘンリー8世は最も教養に長けたイングランド国王だったらしいけれど、こんなデタラメな理由で統治、英国国教会を設立していいのだろうか。
栄華を誇るイギリスを見れば人の感想はどうであれ神様には祝福されているようであるけれども。

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クリスマス・コーラス・コンサート [アウト オブ ロンドン]

はじめに

めまぐるしく日常がすぎ、置き忘れて来たのはブログ。
全く更新しない日々が1ヶ月近くあったのにその間。
こんなブログに訪れていただけ感謝いたします。
反省の意を込めブログ再開するにあたり、
ブログタイトルも改めさせていただきました。

そんな久々の更新は日本から〜

今日の出来事
知り合いも出ている事から。
地域の高校が主催するクリスマス・コーラス・コンサートへ。

とても美しく若さ溢れるコーラスの清らかさが私の老いを感じさせる。

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ヨーロッパ最後の帝国 [アウト オブ ロンドン]

神聖ローマ帝国初代皇帝とも言えるジュリアス・シーザーは
「ブルータスお前もか」とシェイクスピアで有名だけれども、
7月がシーザーの誕生日だった為に自分の名前で呼ばせた名残が
英語にも残っているほどヨーロッパに影響を与えた人物。
そんなシーザーを先祖だと主張し、マリー・アントワネットを
フランス帝国のルイ16世に嫁がせた皇帝一族ハプスブルク家の国が、
1918年に第一次世界大戦で消滅し、あまりに不幸で、
悲劇のヨーロッパ最後の帝国、オーストリア・ハンガリー帝国。
ちなみにハプスブルク帝国は崩壊したが今でもその一族は健在。
皇帝ではなくなったが平和の象徴としてEUの為に尽くしている。



今日の出来事
そんなヨーロッパ最後の帝国の一部ハンガリーの首都ブタペストへ。もっともスロバキアもそうなんだけれど。
ブタペストと言えば温泉。歴史や観光はここではどうでもよく、お風呂でゆったりまったりとヨーロッパ最高の旅行を満喫。
ちなみにぜんぜん関係ないけれど世界最後の皇帝が日本の天皇。そう思うと日本もすごい国だ。もちろん温泉も。

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合併と独立の国 [アウト オブ ロンドン]

かつて学校で習った東ヨーロッパの国、
チェコスロヴァキア社会主義連邦共和国は1993年に崩壊、
独立してスロヴァキア共和国となり2004年には
EU(欧州連合)への加盟を果たし、今では西ヨーロッパ資本が参入。
美しい町並みを望め平和で簡単に訪れるコトができるが、
その歴史は隣接する強国の影響により合併と独立を繰り返している。
オーストリア・ハンガリー帝国の一部だったこの国は第一次世界大戦後、
先の帝国消滅により1918年チェコスロヴァキアとして独立するも、
1939年ナチス・ドイツによる統合の上に初めて独立分離された。
しかし、その支配を嫌いスロバキア民衆蜂起とソビエト軍による解放により、
ナチス・ドイツ支配から脱却できたものの1945年、
再度チェコスロヴァキアに戻り今度はチェコ支配として反発、
混迷を極めた末にクーデターにより共産主義政権に転換。
そんな経緯で建国されたチェコスロヴァキア社会主義連邦共和国は再度反発。
1968年の改革運動「プラハの春」を武力鎮圧したソビエト軍も、
民主化運動を食い止めるコトは出来ず1989年ビロード民主化革命により、
長らくソビエト支配にあった共産主義に幕をおろした。



今日の出来事
そんなうんざりするような歴史をもちながらもだからこそヨーロッパの秘境とも言われる素朴な美しい国へ。
そんな秘境色を楽しみに行ったけれど、グローバル化の波によりその色を急速に消しつつあった。コカコーラーの看板なんて美しい町並みに全くそぐわない…これも時代しかたないのだけれど残念でならない。

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